千葉駅構内タクシーの創業 〜人力車の時代から自動車の時代へ〜
昭和11年当時は、人力車から自動車への転換期であり、人力車や自動車の個人営業の過剰等による混乱があり、需給のバランスが崩れていた時代でもあった。
千葉構内タクシーの創業者である吉田惣三は、この崩れていた需給のバランスを調整し、効率的な営業を行わなければ、混乱の中で生き残る事は不可能と考え、タクシー業の安定と成長の為には、法人組織化が必要と結論を出した。
吉田惣三は、着実に周到に転換計画を押し進めて行った。 こうして千葉駅構内人力車組合は遂に合資会社千葉駅構内タクシー(現在の千葉構内タクシー株式会社)へと生まれ変わったのである。
昭和11年7月24日、千葉市千葉1389番地に営業所を構え、総勢24名により営業を開始した。
- 創業者 吉田惣三
- ダットサンと運転手(昭和28年)
- 千葉駅前の構内タクシー(昭和30年頃)
年表
昭和11年 | ・7月24日 (資)千葉駅構内タクシー設立 資本金:20,000円 人力車:10輌 自動車:5輌 総勢24名 |
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昭和12年 | ・千葉駅構内の営業車1輌増し5輌に、全営業車(自動車)は12月末で8輌となる。 |
昭和13年 | ・市区改正により営業所、車庫所在地、要町1番地となる。 ・運賃の大幅な値上げ申請。 |
昭和14年 | ・千葉駅構内人力車営業廃止願出を提出。 |
昭和19年 | ・8月22日 戦争の影響から稼働可能の営業用車輌が全て国へ提供され、営業申請を提出。 |
昭和20年 | ・空襲により、要町本社、新町営業所、車庫及び車輌を焼失。 |
昭和21年 | ・営業所、車庫復興届け提出し、営業再開の道のりをつける。 |
昭和26年 | ・木炭車からガソリン車へ切替。 ・国産小型車(ダットサン)導入。 |
昭和27年 | ・川鉄の移設に伴い、業績急上昇。 |
昭和28年 | ・従業員、乗務員の給与上昇。就職希望者殺到。 |
昭和36年 | ・営業車輌64輌、従業員141名(内乗務員113名)と県下でも有数の規模になる。 |
昭和40年 | ・全車輌LPG車に変更。 |
昭和42年 | ・タクシー無線取り付け使用開始。 |
昭和54年 | ・5月 福祉タクシー「ふれあい号」導入。 |
昭和55年 | ・「サービス日本一」をモットーとする。 |
昭和56年 | ・単一会社としては全国でも初めての、分散受信方式によるAVMシステムの導入、7月7日エリア配車開始。 |
昭和57年 | ・モニター制度の導入。 |
昭和58年 | ・塗装ツートンカラーから黒へ(お客様からの要望)。 |
昭和60年 | ・県内初のサロンハイヤー導入。 |
昭和61年 | ・”おかげさまで50周年”キャンペーン実施。 |
平成2年 | ・成田国際空港車輌10輌、エアポート交通(株)に移管。 |
平成4年 | ・構内共同無線センターを本社一階に新設移動。併せて、無線の改良装置として、AVMナショナル方式の導入。 |
平成7年 | ・1月1日 (株)構内共同無線センターと吸収合併し、社名を千葉構内タクシー株式会社とする。 |
平成13年 | ・全車輌にデビット、クレジットカード決済導入。 ・タクシー会社としては珍しいスタンプカードの導入。 |
平成17年 | ・千葉中央署に「子供安全パトロール」運動参加への申入れをする。 |
平成18年 | ・1月 全車輌(第一構内タクシーの車輌含む)に、デジタル無線・カーナビ・ドライブレコーダーの3点セット導入。(3点セット導入は、国内初の試み) ・1月 全車輌(第一構内タクシーの車輌含む)に、「子供安全パトロール実施中」のステッカー貼付しての走行開始。 |
平成22年 | ・高齢者運転免許自主返納への支援。運転免許を自主返納した高齢者からの乗車料金を1割引きするサービスを導入する。 |
平成23年 | ・トヨタ レクサス(LS460)を2台導入しました。 |
平成24年 | ・系列会社の参光タクシー(成田市)、ハト交通の無線システムをすべてデジタル無線機に入れ替え共同配車を始めました。又、カーナビ、ドライブレコーダーも導入致しました。 ・日本交通(東京都)と提携をし、スマートフォンアプリ「全国タクシー配車」のサービスを開始しました。 |
平成27年 | ・4月 千葉 構内タクシー・第一構内タクシーにて『うぶごえタクシー』を開始。 陣痛時のサービスとしては千葉市初の試み。 ・6月 LINEタク シーサービスを開始しました。 |